マイケル・ジャクソンの幼少期・デビュー当時・全盛期・晩年の全てを振り返る
「キング・オブ・ポップ」と称され、20世紀の音楽界に革命をもたらした伝説のエンターテイナー、マイケル・ジャクソンの波瀾万丈な半生をじっくりとご紹介してまいります。
生まれながらにして光を浴びる運命だった男、その人生は音楽、ダンス、メディア、裁判、孤独…まさに栄光と苦悩が交錯するものでした。
マイケル・ジャクソンの幼少期
マイケル・ジョセフ・ジャクソン。1958年8月29日、アメリカ・インディアナ州ゲーリーにて、鋼鉄工場に勤める父ジョセフと母キャサリンの間に、9人きょうだいの7番目の子として誕生します。
マイケル・ジャクソンのデビュー当時
音楽好きな一家の中でも、特に際立った才能を見せたマイケル。
5歳で歌い始め、8歳にして兄たちとともに「ジャクソン5」を結成。
その歌声と踊りの才能は瞬く間に注目を集め、モータウンからデビューを果たします。
「I Want You Back」や「ABC」といったヒット曲を次々と生み出し、
幼いながらにしてスターダムを駆け上がっていくマイケル。
しかしその裏には、ステージ裏での父の厳しい指導――というより、虐待にも近い暴力と過酷な練習がありました。
マイケルは後にこの経験を「子供時代を奪われた」と語るほど、心に大きな傷を残していたのです。
マイケル・ジャクソンの全盛期
そんなマイケルにとって、転機となったのがソロ活動の開始でした。
1979年、『オフ・ザ・ウォール』をリリース。
R&Bとディスコの融合により、すでに成功はしていたものの――
1982年、音楽の歴史を塗り替える“あるアルバム”が登場します。
それが――『スリラー』。
マイケルの代名詞ともいえるこのアルバムは、全世界で1億枚以上の売り上げを記録。
「Billie Jean」「Beat It」「Thriller」といった楽曲が次々とヒットし、
彼のダンス、ファッション、MVすべてがカルチャーとなっていきます。
そして――“ムーンウォーク”の衝撃。
1983年、『モータウン25周年記念コンサート』で披露されたそのステップは、
まるで重力を無視したかのような幻想的な動きで、全世界の度肝を抜きました。
その後も『バッド』『デンジャラス』『ヒストリー』など数々のアルバムを発表し、
音楽だけでなく、メッセージ性の強いMVや慈善活動でも注目されていきます。
一方で、顔の整形、肌の色の変化、仰天の私生活――
そして何より、児童虐待疑惑というスキャンダルが彼の人生を大きく狂わせていくのです。
1993年と2003年に相次いで起きた告発と裁判。
2005年の裁判では無罪を勝ち取ったものの、マイケルのイメージは地に落ち、
メディアはその姿を「奇人」として報道し続けました。
人々の記憶には、“顔をマスクで覆った子供たち”“ネバーランドの遊園地”
というイメージが強く残ることになります。
マイケル・ジャクソンの晩年
しかし、彼は再び舞台に立とうとしていました。
2009年――「THIS IS IT」
ロンドンでの50公演におよぶ大規模なカムバックツアーを発表。
“これが最後”と自ら宣言したこのツアーに、世界中のファンは期待を寄せていました。
ですがその夢は、突然終わりを迎えます。
2009年6月25日。
カリフォルニア州の自宅にて、心停止。
プロポフォールという麻酔薬の過剰投与によって、マイケル・ジャクソンは帰らぬ人となったのです。
享年50歳――。
その死は、全世界に大きな衝撃を与え、葬儀はテレビで生中継され、
3億人以上が彼の旅立ちを見守りました。
まとめ
いかがだったでしょうか。マイケル・ジャクソンの栄光と苦悩に満ちた半生。
彼は、ただの“スター”ではありませんでした。
音楽の歴史を変え、パフォーマンスの価値観を塗り替え、
生き様そのものが世界の注目を集める「現象」だったのです。
数えきれない称賛と、数えきれない誤解。
そして、愛と孤独の狭間で揺れながら、それでもステージに立ち続けた――
そんなマイケルの姿に、私も心打たれました。
最後までこのブログを読んでくださりありがとうございました☆ミ
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